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山口地方裁判所下関支部 昭和29年(わ)496号 判決 1960年3月30日

被告人 金子光皓 外八名

主文

一、被告人大谷保を懲役六月に、

被告人佐々木一を懲役二月に、

被告人木山千之を懲役三月に、

被告人浅原浩を懲役二月に、

被告人井本丈夫を懲役三月に、

被告人末宗明登を懲役三月に、

被告人与国貞治を懲役二月に、

処する。

二、但し、本裁判が確定した日から、被告人大谷保に対し、三年間、その余の被告人に対し、いずれも二年間、右各刑の執行を猶予する。

三、訴訟費用中、

別紙一乃至二六、一〇七の証人に支給した分は、被告人大谷保の負担、

同二七乃至四七、五一乃至六〇、七〇の証人に支給した分は、被告人大谷保、同佐々木一、同木山千之、同浅原浩、同井本丈夫、同末宗明登、同与国貞治の連帯負担、

同四八乃至五〇、八七乃至一〇五の証人に支給した分は、被告人大谷保、同佐々木一、同木山千之、同浅原浩、同末宗明登、同与国貞治負担、

同六一乃至六四の証人に支給した分は、被告人大谷保、同佐々木一、同浅原浩、同井本丈夫、同末宗明登、同与国貞治の連帯負担、

同六五乃至六九、七七の証人に支給した分は、被告人大谷保、同末宗明登の連帯負担、

同七一の証人に支給した分は、被告人大谷保、同木山千之、同与国貞治の連帯負担、

同七二の証人に支給した分は、被告人大谷保、同佐々木一、同木山千之、同浅原浩、同井本丈夫、同与国貞治の連帯負担、

同七三、七四の証人に支給した分は、被告人大谷保、同佐々木一、同浅原浩、同末宗明登、同与国貞治の連帯負担、

同七五の証人に支給した分は、被告人佐々木一、同井本丈夫、同末宗明登、同与国貞治の連帯負担、

同七六の証人に支給した分は、被告人佐々木一、同井本丈夫、同浅原浩、同末宗明登、同与国貞治の連帯負担、

同七八乃至八六の証人に支給した分は、被告人大谷保、同木山千之、同浅原浩、同井本丈夫、同末宗明登、同与国貞治の連帯負担、

同一〇六、一〇八の証人に支給した分は、被告人大谷保、同佐々木一、同浅原浩、同末宗明登、同与国貞治の連帯負担、

とする。

四、被告人金子光皓、同中井清一は、いずれも無罪。

五、被告人大谷保の日本国有鉄道職員戸村祐吉に対する公務執行妨害の点については、同被告人は無罪。

理由

有罪部分

(昭和二八年。広島駅構内事件。被告人大谷保関係。)

第一

一、日本国有鉄道労働組合(以下単に国鉄労組と称する。)は公共企業体等仲裁委員会の仲裁裁定完全実施、年末手当の増額等を要求して日本国有鉄道(以下単に国鉄と称する。)当局との間に団体交渉を続ける一方、右要求達成のため、昭和二八年六月の全国大会において、同年末には最悪の場合実力行使もやむをえないとの決議をし、遂に同年一二月一日から三日間、国鉄当局に対する強力な闘争手段として、国鉄労組の各地方本部が指定する業務機関において、同機関所属の全組合員が、約三分の一宛労働基準法所定の年次休暇を請求して就労を拒否する、いわゆる三割休暇戦術を実行することになつた。よつて、国鉄労組広島地方本部(以下単に広島地本と称する。)では、右休暇戦術実施業務機関として、広島駅及び広島車掌区を指定してこれを実施し、且つ、前記三日間の期間内には労働組合員(以下単に労組員と称する。)約一、七〇〇名を動員して、広島駅及び広島車掌区を中心に管内各業務機関に配置し、要所にはピケラインを張り、休暇をとるべき者の就労阻止等にあたらせた。

二、かかる状況下において、昭和二八年一二月三日午後二時五〇分頃、広島駅一番乗場の山陽本線下り急行第一、〇〇五列車に広島駅から乗務すべき広島車掌区所属の運転車掌が欠勤したため、かねて、かかる事態に対応する応急措置として、国鉄副総裁の通達に則り、鉄道管理局長から各現場機関の長に連絡されていた指示に基いて、同列車に客扱専務車掌として乗務していた三輪繁が、同駅から運転車掌をも兼務するように命ぜられた。

同車掌は定刻に発車の合図を送り、列車に乗ろうとしたところ、運転車掌の携帯すべき信号焔管、信号雷管等の所持を確めんとする広島地本広島第二支部執行委員長田辺正治等の労組員に阻止されて乗車できず、これを見た広島駅運転掛の合図で、右列車は約一〇〇米西進し、同駅構内通称桜の馬場踏切にさしかかつた地点で急停車した。そこで前記田辺正治は労組員を指揮して三輪車掌の携帯品を調べたり、国鉄当局にこれを整えさせるよう交渉したりする一方、機関車の前方に労組員を並ばせ、踏切の遮断機を上げさせ通行人を通した。

広島駅長を輔佐代理して所属職員を指揮監督し、駅務全般の処理に当るべき職務を有する同駅主席助役内田菊雄は、右第一、〇〇五列車車掌が労組員に乗車を阻止されたため、一旦発車した同列車が停車し、機関車の前には一人の労組員が寝て発車を妨げている旨の報告を受けたので、事情を調査して、善処すべく、停車している列車に向つて急行した。

しかし、その間前記車掌の携帯品が整備されたとして、労組側も機関車前の労組員を退去させ、三輪車掌は同列車に乗車し、運転掛の発車合図により、列車は発車し、内田助役は右の事情を確めえなかつたため、同列車が発車して間もなく、桜の馬場踏切東方約二〇米の線路沿いの地点で、居合せた広島地本広島第二支部副執行委員長の被告人大谷保に対し、報告を受けていた前記列車の発車妨害の事情を確めるつもりで、「ピケは一人だつたのか。」と尋ねたところ、傍で、これを耳にした前記田辺正治は組合活動を侮蔑した言葉と感じて立腹し、「ピケが一人で張れるか。組合を馬鹿にするな。」と怒号して、同助役につめより、被告人大谷も同助役を指して、「広島駅の大反動だ。やつてやろうか。」と叫んだ。これと同時に、附近にいた数十名の労組員が同助役をとりまいて、口々に罵言をあびせた。そして、田辺正治並びに被告人大谷は、これら労組員と互に意思相通じて職務執行中の同助役を囲んでひしめきあいながら、同助役を足蹴りするなどの暴行を加えつつ、その場から約三〇米南方の物資部倉庫横まで移動し、同倉庫の板壁に同助役を押しつけ、なおも、同助役を蹴りつけるなどの暴行を加えて、同助役の職務を妨害し、右暴行により、同助役に対し、治療約一週間を要する左大腿部、左下腿部挫傷兼両足擦過傷の傷害を与えた。

(昭和二九年。下関駅放送室事件及び国鉄ビル事件関係に至るまでの経緯)

第二

一、更に、国鉄労組においては、昭和二九年度において、同年一〇月二九日から賃金値上、年末手当二ヶ月分要求貫徹のため闘争を行うことになり、特に、広島地本管内においては、同日から同年一一月一九日までに、業務機関を指定して遵法闘争と職場大会の方法を併用した第一波から第三波までの闘争を行い、同年一一月二五日から三日間にわたり、下関車掌区等を対象として、三割休暇戦術、必要に応じて、遵法闘争を併せて、第四波闘争が行われることになつた。

ところで、第三派までの闘争による国鉄側の被害は大きく、この上闘争が行われることになれば、更に被害の増大が予想されたので、これに対処するため、広島鉄道管理局長は、下関市西細江町にある国鉄施設である国鉄ビル内に臨時輸送対策本部を設置し、総務部長道下芳雄を同本部長に任命し、局長の権限を委任して事態の収拾にあたらせた。

しかし、第四波闘争は活溌に行われ、就中、下関地区では、同月二五日から労組員が下関車掌区の建物の周囲及び下関市内幡生操車場における列車の乗降口にピケを張り、車掌の列車への乗務を阻止したため、右対策本部長は、しばしば、労組側に業務阻害行為をしないよう要求し、ピケ解除も要望したが、労組側のいれるところとならず、遂に、同本部長は鉄道公安職員を指揮して事態の収拾をはかつたが、労組側の強力なピケの対抗を受け、一部特殊列車を除き、列車の運休並びに遅延が続出し、鉄道業務は混乱した。

(下関駅放送室事件。被告人大谷保、同末宗明登関係。)

二、被告人大谷保は国鉄労組広島地本広島第二支部副執行委員長、被告人末宗明登は同支部書記長として、前記第四波闘争に参加し、昭和二九年一一月二六日午前から門司駅において、上記三割休暇闘争に関連し、乗務車掌に対する携帯品検査等の遵法闘争を行い、同日午後、まず被告人末宗が労組員数十名を率いて、上り第四四小荷物専用列車で下関に引き揚げ、下関車掌区に至り、次いで、被告人大谷も、同日午後四時五八分、上り第二一六列車で下関駅三番ホーム六番乗場に到着し、直ちに同列車につき、労組員により行われた荷物愛護運動の遵法闘争に参加し、これを終えて、下関車掌区に向う途中、被告人末宗の引率してきた労組員と合流し、これらとともに、列車で幡生駅に赴くため、再び、前記下関駅ホームに出た。

ところが、前日までは、緊急事態に対する列車運転を確保するため、前記闘争により運転車掌が乗務せず、列車の運転に支障があるときは、一定の資格を有する客扱専務車掌に運転車掌を兼掌させて、列車の運転がなされていたところ、同日から広島鉄道管理局管内においては、右兼掌をとりやめ、正規の運転車掌を乗務させることになり、同日午後になつて、その旨現地運転関係末端へ指令されたが、乗務すべき運転車掌は労組員による車掌区のピケに阻止されて容易に乗務できない状況であつたため、前記第四四、二一六列車も、ホームの荷物愛護運動が終了しても、まだ、発車できず、特に旅客列車の右第二一六列車に関しては、いわゆるラッシュ時でもあり、多数の乗客はホームにひしめきあいながら、数十名の組合員等を含めた国鉄側に非難をあびせ、或いは抗議するなど、狭いホーム上は混乱を極めた。この間下関駅長大野林蔵は、案内係の戸村祐吉に対し、運転車掌遅刻により、発車が遅れる旨数回放送させたが、容易に鎮まらず、労組側も竹森三郎運転主任をとりまいて罵声をあびせて発車をせまり、場内は険悪な空気につつまれた。

かかる状況を見た被告人大谷、同末宗は、事態収拾のためにも駅当局側によらないで、あえて、自ら駅放送施設を利用して事情を乗客に訴えようと考え、同被告人等は共謀の上、昭和二九年一一月二六日午後五時四〇分少々前頃、下関市竹崎町下関駅上り三番ホーム所在の、同駅長大野林蔵管理に属し、無断出入を禁止されている運転室内の放送室に、管理者たる同駅長の承諾を受けることなく、侵入し、被告人大谷において放送した。(国鉄ビル事件。被告人大谷保、同佐々木一、同木山千之、同浅原浩、同井本丈夫、同末宗明登、同与国貞治関係。)

三、翌、昭和二九年一一月二七日午前中、広島地本では下関車掌区長との間の団体交渉に入り、七〇名位の組合員が同区長外同区幹部をとりまいて、同区長が広島地本執行委員長小西旭との闘争前のとりきめに反したとして、その責任を追及し、陳謝文を要求中、中央闘争本部から同日正午を期して闘争の集約に入るべき旨の指示を受けたので臨時輸送対策本部長道下芳雄に対し、団体交渉の申入を行つていたところ、直接その交渉にあたつた労組執行委員が、労組側で車掌区長との右の交渉態度を改めるならば、団体交渉に応じてもよい意向であると即断したことや、なお、従来から闘争の終了にあたつては、集約的団体交渉が行われるのを例としたとの労組側の判断から、労組側では前記臨時輸送対策本部長道下芳雄と団体交渉をなすべく車掌区長との団体交渉を打ちきり、労組員を集合させ、小西旭等労組幹部を先頭に二百数十名の労組員は臨時輸送対策本部のある前記国鉄ビルに向つて行動を始めた。この間右労組の動きを察知した臨時輸送対策本部長道下芳雄は、これら労組員が国鉄ビルに立ち入るときは、同本部その他の業務の円滑な遂行が侵害されるおそれがあると認め、これに対処するため、同日午前一一時過頃、労組員の同ビル内への立ち入りを禁止させるべく、下関鉄道公安室長に対し、鉄道公安職員による同ビルの出入口の警備を命じた。そこで、同鉄道公安室長は部下及び助勤者のうち五七名を六班に分け、同ビルの各入口の警備にあたらせ、特に、第一班から第三班まで約三〇名を鉄道公安主任浅谷森助に指揮させ、表玄関を警備させた。

被告人大谷保、同末宗明登は、前記のとおりの労組幹部の地位にあり、被告人佐々木一は国鉄労組広島地本広鉄支部執行委員、企画部長、被告人木山千之は右広島地本執行委員、情報宣伝部長、被告人浅原浩は右広島地本小郡支部小郡駅連区分会執行委員長、被告人井本丈夫は右広島地本執行委員、被告人与国貞治は右広島地本小郡支部小郡駅連分会執行委員として、いずれも右闘争に参加し、前記国鉄ビルへ向う労組員の中にあつて、前示小西旭指揮の下に、縦隊の隊伍を組み、労働歌を高唱して、同日午後〇時頃、同ビル前広場に至り、同所において、ジグザグ行進をして気勢をあげた後、同ビル正面玄関下に一旦停止し、小西執行委員長等労組幹部数名が、玄関入口を警備する鉄道公安職員に対し、道下臨時輸送対策本部長と団体交渉のため、ビル内への立ち入りを求めた。しかし、鉄道公安職員はこれを拒絶したため、これら労組幹部は口々に激しく鉄道公安職員を非難する一方、道下臨時輸送対策本部長に対し、団体交渉のため、会見したい旨を取り次ぐよう要求した。そこで鉄道公安職員の方では、とりあえず、これを取り次いだものの、右道下本部長の容れるところとならず、浅谷鉄道公安主任から、その旨伝達するや、待機していた労組員の中から、「打ち破れ。」「破つて突破せい。」「中に入つてしまえ。」などの声があがり、これを機に、被告人大谷、同佐々木、同木山、同浅原、同井本、同末宗、同与国は他の前記労組員二百数十名と互に意思相通じて、国鉄ビル警備の職務を執行中の鉄道公安職員を実力で排除し、臨時輸送対策本部長道下芳雄管理にかかる国鉄ビルに侵入しようと企て、前面の労組員は肩又は頭を右鉄道公安職員に当てて押し、後方の労組員は、更にこれを後押しして、これら鉄道公安職員に対し、約一時間にわたり、波状的に強力な体当りを加える暴行を加え、もつて、鉄道公安主任浅谷森助外約三〇名の鉄道公安職員の職務の執行を妨害し、

右暴行により

鉄道公安職員、水江芳孝に対し、加療五日を要する前胸部、右腰部挫傷

同、本田一夫に対し、加療七〇日を要する左前胸部、左胸背部挫傷

同、岸伊充に対し、加療六日を要する左前胸部、左胸背部挫傷

同、内田博に対し、加療三日を要する左腰部挫傷

同、服部元治に対し、加療七日を要する前胸部挫傷

同、松本昇に対し、加療七日を要する左前胸部挫傷

同、森岡政雄に対し、加療七日を要する右前胸部挫傷

同、向島芳助に対し、加療六日を要する左肩胛部挫傷

同、吉村信夫に対し、加療五日を要する右胸背部挫傷

同、真鍋伝一に対し、加療五日を要する右肋骨弓部挫傷

同、長岡朗に対し、加療六日を要する胸部挫傷

同、久恒菊男に対し、加療一〇日を要する胃部挫傷

同、松山保に対し、加療五日を要する右胸部挫傷、左肘関節部擦過傷

の各傷害を与えたが、

右鉄道公安職員等の阻止により、国鉄ビル内に侵入する目的は遂げることはできなかつたものである。

(証拠の標目)(略)

被告人等(以下本項において、単に、被告人というのは、被告人金子、同中井を除くその余の被告人を指す。)の判示所為中、第一、第二、三の公務執行妨害の点は、各刑法第九五条第一項、第六〇条に、第一、第二、三の傷害の点は各同法第二〇四条、第六〇条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、第二、二の住居侵入の点は刑法第一三〇条、第六〇条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、第二、三の住居侵入未遂の点は、刑法第一三〇条、第一三二条、第六〇条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するが、第一の公務執行妨害と傷害、第二、三の住居侵入未遂及び公務執行妨害と各傷害は一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条により最も重い傷害罪(第二、三に関しては、本田一夫に関する傷害罪)の刑をもつて処断すべく、以上各罪につき所定刑中いずれも懲役刑を選択し、被告人大谷、同末宗の右各罪は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条、第一〇条により最も重い本田一夫に関する傷害罪の刑に法定の加重をし、その刑期範囲内において、その余の被告人については所定刑期範囲内において、被告人等を各主文掲記の刑に処し、情状いずれも刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二五条第一項により、本裁判が確定した日から、被告人大谷保に対しては三年間、その余の被告人に対してはいずれも二年間、右各刑の執行を猶予し、訴訟費用の負担については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条を適用して主文掲記のとおり、それぞれの被告人に負担させることとする。

(無罪部分)

第一、幡生操車場事件。被告人金子光皓、同中井清一関係。

一、本件公訴事実は、

被告人金子光皓は国鉄労組広島地方本部青年部長、同中井清一は右本部幡生支部所属の組合員なるところ、公労協第四波闘争国鉄労組三割賜暇闘争に参加し、昭和二九年一一月二六日午後二時半頃、下関市所在の国鉄幡生操車場構内下り貨物一番線において、門司車掌区所属車掌山元良雄(当時二二才)が下り貨物第六三列車に乗務せんとするに当り、これを阻止せんとして、外数名とピケラインを張つたため、下関鉄道公安室所属浅谷森助、藤田藤一、藤田信夫外十数名の鉄道公安職員が右ピケを排除して、前記車掌を該列車に乗務せしめんとする職務執行にあたり、

被告人金子光皓は

右公安職員浅谷森助に対し、右手拳をもつて、左胸部を一突し、更に、右足で同人の左足向脛を数回蹴り上げて暴行を加え、もつて、同人の公務執行を妨害し、

右暴行により、前記浅谷森助に対し、加療一〇日間を要する胸部打撲傷を負わし、

被告人中井清一は

背部に居た前記公安職員藤田藤一に対し、右肘をもつて、同人の右胸部を一突し、更に足で左足首附近を二回位蹴りつけ、引き続き、前示公安職員藤田信夫に対し、右手拳をもつて、同人の左肩を二回強打して暴行を加え、もつて、同人等の公務執行を妨害し

右暴行により、前記藤田藤一に対し、全治約一週間を要する右下腿打撲傷を負わし

たものである。

というのである。

(証拠の標目略)

被告人中井清一は国鉄労組広島地本幡生支部所属の組合員であつて、昭和二九年一一月二五日夕刻から下関市幡生操車場に行動隊員として闘争に参加し、被告人金子光皓は右広島地本青年部長として、翌二六日午後から、特に幡生操車場において、広島地本闘争副委員長山田耻目の指揮に入り、右闘争に参加したものであるが、同日も前日から引き続き右山田耻目の指揮する労組の行動隊員が幡生操車場の上り運転室や、貨物列車の緩急車停車位置附近、車掌区派出所に待機していた。同日午前一一時頃、下り貨物一番線に、第六三貨物列車が入り、同列車に乗務すべき車掌山元良雄が、機関車の方から車輛を点検しながら後部緩急車に向つたが、行動隊員が付き添いながら、同車掌を説得し、或いは緩急車の乗降口にピケを張つて、乗務を阻止したため、同車掌は乗車できず、運転助役の指示で、やむなく同所附近検車詰所に待機した。その間、右列車の外下り第二六九、第七七三などの各貨物列車が仕立を終つたまま発車できず、輸送業務は停滞していた。

かくて、右の事態に対処するため、臨時輸送対策本部長道下芳雄は同日午後から本部の事務を幡生駅駅長室へ移した上、公安課長田中一男に指示して、下関鉄道公安室長に対し、ピケの行動隊員を排除して車掌を乗務の上発車させるため、鉄道公安職員に出動を命じた。そこで、下関鉄道公安室長は同日午後一時三〇分頃、鉄道公安主任新堀秀夫に対し、部下三〇名位を率いて幡生操車場に赴き、田中公安課長の指示に従うよう命じ、命を受けた新堀鉄道公安主任は直ちに部下を率いて幡生操車場に行き、同日午後二時二〇分頃、田中公安課長から、とりあえず、前記第六三貨物列車など三本の貨物列車を同日午後二時三〇分から一〇分間隔で発車させる予定で、右各列車の車掌が乗務できるよう、ピケ隊員を説得し、応じなければ、これを排除して車掌を保護乗務させるよう指示を受けた。

そこで、新堀鉄道公安主任は、構内の下関鉄道公安室幡生派出所において、鉄道公安職員を広田班、岩田班、秋本班に三分し、岩田班は派出所に待機、広田班は浅谷鉄道公安主任が指揮して第六三貨物列車の、新堀鉄道公安主任は秋本班を指揮して第二六九貨物列車の、各車掌を保護して乗務させることとし、行動を開始した。ところが、浅谷鉄道公安主任の率いる広田班が右派出所を出ようとした際、第六三貨物列車の山元車掌及び第二六九貨物列車の車掌が検査詰所附近に待機していることが鉄道公安職員にも分つたので、他の班も最初に発車さすべき第六三貨物列車の山元車掌の保護を担当する広田班に協力することになり、浅谷鉄道公安主任が右山元車掌に乗務の意思を確めた後、浅谷鉄道公安主任、広田鉄道公安班長が先に立ち、他の広田班員が同車掌の周囲を囲んで右第六三貨物列車の後部緩急車に向い、秋田班がその後を警備し、岩田班もこれに続いた。これを見た労組の行動隊員は右第六三貨物列車の緩急車の各乗降口にスクラムを組みこれに対した。山元車掌を囲んだ鉄道公安職員の一団は同車掌が尾燈を点検した後、右緩急車の後左側(南側)の乗降口へ進み、同所で被告人金子、同中井等のスクラムを組んだ五名位のピケ隊員に対峙し、浅谷鉄道公安主任、広田鉄道公安班長等は、ピケ隊員に対し、車掌を乗せるから退くよう申し入れたが、かえつて行動隊員は罵言をあびせ、スクラムを固めて、ピケを解く様子もなく、他の行動隊員もこれに加わる気配があつたので、浅谷鉄道公安主任は、遂に、実力によるピケ排除を決し、広田鉄道公安班長とともに、スクラムを押し分けにかかり、これを機に、他の関係鉄道公安職員もこれに協力し、かくて、鉄道公安職員は労組行動隊員によるスクラムを崩し、山元車掌を擁護乗車させたことを認めることができる。

三、被告人金子光皓関係。

(一)  ところで、公訴事実によると、その際浅谷鉄道公安主任は被告人金子から、手拳で左胸部を一突され、更に足で左足向脛を数回蹴られたというのであつて、第七回、第八回公判調書中証人浅谷森助の供述記載、第九回公判調書中証人吉本修一の供述記載、第一五回公判調書中証人川原田秀男、同長岡朗、同向島芳助の各供述記載並びに第一六回公判調書中証人藤川岩行の供述記載によると、右公訴事実に符合するものがあり、右被告人の行動を積極的なものであつたと述べた記載も見受けられる。

(二)  しかし、右各証拠を当時の状況に照らし、仔細に検討するときは、一概に、それをそのまま、事実として容認することはできないようである。そこでまず、前記各証拠に現われている当時の労使双方の態度なり事情をみてみると、臨時輸送対策本部は今迄にない強い態度をとつており、それは、引いては、具体的には、初めて労働運動の場に投入された未経験な鉄道公安職員に対する期待となり、鉄道公安職員の方でも、期待に副うべく最大の努力をしたにちがいないにしても、処理に適切を欠き、第四波闘争の当初において、下関車掌区などの労組側の技術に対抗するだけの措置をとりえず、昭和二九年一一月二六日の幡生操車場における事件を迎えるに至つたこと、これに対し、労組側も鉄道公安職員という同じ鉄道部内の者が、労働運動に干渉することになつたことについて強い不満を持ち、その出動を企図した当局側、この場合、臨時輸送対策本部の措置に憤りを持ちながらも、その強い態度に不測の打撃損害を受けることをおそれ、直接行動にあたる各労組員に対し極力これとの摩擦を避けるよう、特に指示を与える一方、第四二回公判調書中証人山田耻目の供述記載に明らかなとおり、幡生操車場においては両者の衝突に備え、労組側では、退避の場所として幡生操車場外の松原を指示しているほどであることが認められ、右のような状況下において、労使双方の接触する第一線にある現地労組員の行動隊員と鉄道公安職員との間には、強い対立感情が秘められていたことを推察するに難くない。しかも、第六三貨物列車等を是が非でも発車させるべく厳命を受けた鉄道公安職員が、気負い立つて、労組員のピケの人数を、はるかに上廻る多数で、山元車掌を擁して赴いたところへ、ピケの労組員から、激しい罵詈雑言をあびせられ、労働運動の場における雰囲気に馴れていないところから、どんな感情になつたかは想像に難くない。闘争の場では冷静に行わるべきだといいながらも、現実には、一方の行動が激しくなれば、これに対抗する方も、また、そうなるのは自然の勢といつてよく、鉄道公安職員の圧力が激しいものであればあるほど、それに応じて、前記のような意識を持つ相手方ピケの労組員の、これに対応する態度にも激しさを加えるようになるのは、労働運動の場にしてみれば、またやむをえないところであるといわざるをえない。鉄道公安職員は一応ピケの労組員に対し、車掌を乗車させるから退くように申し入れてはいるが、午前中のいきさつから、かかる説得では労組員が応ずるとは思つていなかつたようであつて、その説得自体についても充分になされたと認むべき証拠は極めて薄弱である。むしろ、それは実力行使によるピケ排除のためになされた一応の申し入れのようであつて、鉄道公安職員は充分な説得をしないで、労組員のピケ強化をおそれ、一早く、実力行使に移つたと見てよいようである。

(三)  右のように、本件幡生操車場における鉄道公安職員の実力行使、これに対する労組側の態度をみてくると、本件は労働運動、とりわけ闘争の場において発生した事件であつて、証拠関係からみれば、浅谷鉄道公安主任が実力によるピケ排除を決し、広田鉄道公安班長と労組員のスクラムを押し分けにかかり、これを機に他の鉄道公安職員もこれに協力して、スクラムを後から押し、或いは前から引くなどしてスクラムが解け、下関駅の方に関係者がよろけ、入り乱れての混乱の渦の中に浅谷鉄道公安主任もまきこまれ、同人はもとの位置に戻ろうとしたとき、被告人金子から左腕をつかまえられて引張られたのでこれをふりはなした。その時被告人金子の手が浅谷鉄道公安主任の胸に当つた程度のことは認めてよいようである。ただ浅谷鉄道公安主任が足を蹴られた事実は、この点に関する前記証人浅谷森助の供述記載部分だけでは、これを認めるに充分ではない。浅谷鉄道公安主任の被害状況を詳述している前記藤川岩行の供述記載によつても明らかなとおり、鉄道公安職員の方でも必死となつて行動していて細かい点まで充分見ていたとは思われないし、たとえ、積極的行動とみられるようなものがあつても、それがそうみられるのは、自らも混乱の渦の中にまきこまれ、積極的行動に出ておれば、相手方の行動も、意識的にそうみるわけではないにしても、平静を欠き、積極的なものとみがちであるということで、充分説明のつくところである。一方被告人金子も検察官に対する供述調書(昭和二九年一一月三〇日附)において、「……その折、私は公安の方から見て一番右の端に位置して、スクラムを組んでいたのですが、突然、左の背中を相当激しく前に押されました。転びそうになつたので、作業衣の上衣のボケットに突きこんでいた左手を出そうとしたが、公安に押しまくられて中々できませんでした。そのうち左手首を後から公安につかまれ、ねじ上げられました。痛いので離せ離せと言いながら、身体を振つていると、スクラムを組んだ右手が離れ、前の方に一足、二足のめりました。倒れまいとして、右手で何か支えるように、前に出した折、何かにさわつたように覚えていますが、公安官か行動隊員以外は近くに居なかつたので、そのどちらかにさわつたものだと思います。尤も、倒れまいとして出した手ですから、さわつたというよりは強いショックを手首に受けました。」と供述していることが認められ、被告人金子とても同人の四肢の一部が全然鉄道公安職員に触れたことはないというのではないようである。すると、これまでみてきた事実関係を綜合してみると、被告人金子はスクラムを組んでいたところ、圧倒的な鉄道公安職員の押したり、引いたりした実行行使にスクラムを崩され、労組員と鉄道公安職員とが入り乱れて混乱した際、自らの安定を保とうとして、動かした手が浅谷鉄道公安主任の胸に当つたと見る余地もあるようである。被告人金子が怒声をあげた証拠もあるようであるが、かかる混乱の小競合いの中で、感情が高まつているとき、怒声や罵声が出ても不思議ではないし、それをもつて、積極的な行動であつたと推理する根拠にするには充分ではない。又医師林賢作成の浅谷森助に対する診断書並びに前記第七、八回公判調書中証人浅谷森助の供述記載によれば、右幡生操車場における混乱の際、被告人金子の所為によつて浅谷鉄道公安主任が胸部に打撲傷を受けたもようである。しかし、第四七回公判調書中証人浅谷森助の供述記載によれば、同人がその翌日国鉄ビルの防護に出て、最初の一〇分間位、最前列の中央部に居て、労組員がぶつかつてくるのを受けた後に診断を受けたことを認め、そのときぶつかつてくるのを受けたので、胸の痛みが増した点については、それは五のものが六になることが絶対になかつたとはいえない気がすると述べていることが分るので、右診断書にあるように幡生操車場で浅谷鉄道公安主任の受けた傷害が加療一〇日を要する程度であつたかは疑しく、従つて、右の程度の診断書の記載があるからといつて、その受けた打撃が積極的なものであつたと断ずることはできない。

このように証拠を検討してくると、被告人金子に、当時暴行の意思があつたと認めるに足る証拠があるとはいいがたく、又その傷害の結果についても被告人金子に過失があつたと認めるべき証拠もないから、過失による傷害の責任を問うこともできない。それ故、被告人金子の本件所為については、その余の点について判断するまでもなく、公務執行妨害及び傷害の各罪が成立するというには充分ではないといわざるをえない。そこで、刑事訴訟法第三三六条により、被告人金子に対し、無罪の言渡をする。

四、被告人中井清一関係。

(一)  鉄道公安員藤田藤一に対する公務執行妨害及び傷害について。

被告人中井が前記公訴事実の日時、場所において、右肱で藤田藤一鉄道公安員の右胸部を一突きし、更に足で左脛を二回位蹴つた点については、第一〇回、第四七回公判調書中証人藤田藤一の供述記載、第一二回、第四八回公判調書中証人広田禎助の供述記載によれば、右事実に符合するものがある。

しかし、これらの各証拠は充分に検討してみる必要がある。右証人藤田藤一の供述記載、特に第一〇回公判調書の分によると、幡生操車場の第六三貨物列車の後部緩急車前に一五名位の労組員がスクラムを組んでいたが、藤田藤一鉄道公安員は車掌の乗車口を作るため、広島の方からスクラムと緩急車との間に入つて、一番後部の人を押したら、緩急車とスクラムを組んでいた労組員の背部との間に間隙ができ、その中に入つて押し、浅谷鉄道公安主任等の班が前から引張るなどしたので、スクラムの中程が切れ、機関車の方に崩れたので、藤田藤一も前の労組員の肩を持つたまま、ついていつたような恰好になり、隣の線路道床バラスにかかる地点で、斜右前から、紺の作業衣をつけた人(被告人中井)が左手はスクラムを組んでいたが、右手は自由になつていたので、何をするかというような積極的な突き方で、右肱をもつて、藤田藤一の右乳附近を突き、踵で後蹴りの恰好で同人の左脛を二回蹴つた。」というのである。しかし、第一二回公判調書の記載によると同じく現場を見ていた広田禎助鉄道公安班長は、証人として、藤田藤一の正面に行動隊員の人がつきかかつて行つたような状態で、暴れているなと感じた。藤田藤一に対しては体を横向にして体当りした旨供述した記載があり、このように同じ鉄道公安職員の間においても問題の労組員の行動に差異ある供述が見られる。ことに、第五九回公判調書中、被告人中井の供述として、「私は従来組合活動に参加したことはなく、この日は職場での抽せんに当つて出たものである。……スクラムの前に公安職員の一隊がきて、「そこどけ」といつたと同時に、いきなり襟首をもたれ、前から引張られ、後から突かれた。スクラムはバラスの上であつたが、前のめりになつて、次の線路に上つた。そこで又右腕を引張られたので、スクラムから切れ、独りになつたので逃げたが、こけかかつて、立ち直り、一〇米位行つてすべつてこけたが、そこを公安職員から押えつけられた。」旨の記載を合せ考えてみると、果して、被告人中井の行動が証人藤田藤一の供述するようであつて、しかも積極的なものであつたか非常に疑問とせざるをえないのである。そして、更に、当時の状況、特に前記三の被告人金子関係の(二)のところで説示したような労組側と鉄道公安職員との対立、労働運動の場における力関係等を右各供述記載に合せて考察してみると、被告人中井は他の労組員の行動隊員とともに、スクラムを組んでいたところ、鉄道公安職員から、前記のように、後から押す、前から引張るなどのスクラム崩しの行為に出られ、足をすべらすようなことになつたので、労組側の注意もあり、一早く、その場を逃避せんとして、あわてて、或いはもがきながら移動する際に、動く体躯、手足が附近にいた鉄道公安職員に当つたと見られる余地も充分にあつて、被告人中井の行動が故意ある暴行であると認めるには充分ではなく、他に、これを認めるに足りる証拠も見当らない。

次に、第一〇回公判調書中証人藤田藤一の供述記載によると藤田藤一は被告人中井から後蹴りの恰好で左脛を蹴られた旨の供述記載があり、これに、医師須磨治海作成の診断書を合せると、藤田藤一は右のように蹴られたため、全治約一週間を要する左下腿打撲傷の傷害を受けたというのである。しかし、上記公判調書中被告人中井の供述記載によると、当時同被告人はズック靴を履いていたことが明らかであつて、他にこれを否定すべき証拠は見当らない。そして、第一九回公判調書中証人須磨治海の供述記載によると、同証人は医師として、本件事件の一日後の昭和二九年一一月二七日夜、藤田藤一を診断しているが、当時左下腿中央に直径三糎の皮下出血があり、三、四日で痛みはなくなり、色が消えるまでには一週間位かかると判断したことを述べていることが分る。これによると、右傷害は極めて軽微であり、たとえ、第一〇回公判調書中、証人藤田藤一の供述記載にあるように、同証人が事件当日更に車掌区の方に出動し鉄道公安室に帰つてから矢富公安主任に薬をつけてもらい、晩は痛かつたので、翌日の国鉄ビルの警備には行かなかつたとしても、被告人中井のズック靴により、しかも、後蹴りというやりかたで、藤田藤一のいうような傷害ができたと認めるには躊躇せざるをえないのである。しかも、前記のように、藤田藤一が被告人中井から暴行を受けたというのは、労組の行動隊員や鉄道公安職員が入り乱れている際の瞬時の出来事であるということも考慮に入れるときは、尚更、藤田藤一の負傷が被告人中井の暴行の結果であると断定することは困難である。

以上のようにみてくると、被告人中井の藤田藤一に対する暴行及びこれに基く傷害を認めるには充分な証拠があるとはいいえないから、その余の点について判断するまでもなく、被告人中井の藤田藤一公安員に対する公務執行妨害罪及び傷害罪の成立を認めることはできないということになる。

(二)  鉄道公安員藤田信夫に対する公務執行妨害について。

被告人中井が前記公訴事実の日時、場所において、鉄道公安員藤田信夫に対し、右手拳で左肩を二回強打した点については、第一一回、第四七回公判調書中証人藤田信夫の供述記載、第一二回、第四八回公判調書中証人広田禎助の供述記載によれば、右事実に符合するものがある。ところで、右第一一回公判調書中証人藤田信夫の供述をみると、同証人が被告人中井から右のような暴行を受けたいきさつについて、同証人は「労組員のスクラムが崩れて、公安職員と労組員とが入り乱れた。そのとき緩急車の乗降口を見たら公安職員が四、五名乗つており、車掌は乗降口に両足をかけて乗ろうとしていた。そこで、車掌が降されてはいけないと思つて、乗降口の方に行こうとした時、被告人中井が、いきなり飛び出してきて右手で左肩のつけねのあたりを殴つた」旨の供述をしていることが分る。又第一二回公判調書中証人広田禎助の供述記載をみても、同証人は「右のようにスクラムが崩れ公安職員と労組員が入り乱れたとき、四、五歩後に押されて退つた。……車掌の姿を求めて緩急車の方に一、二歩行つたら、車掌は公安職員と一緒にデツキに上りかけていた。大丈夫だなと思つてふり返つてみると行動隊員の一人が藤田信夫に対し、右手を同人の肩にぶつつけた。」旨を供述していることが認められる。右各証拠によつてみると、藤田信夫が被告人中井から殴られたのは、車掌が緩急車に乗りかけて、まだ、デッキには上つていないときということになる。ところで、第四七回公判調書中証人藤田信夫の供述記載によると同証人は、昭和三〇年領第一〇九号の証第二八号(写真)を示しての問に対し、この写真の状況のあとで、被告人中井から暴行を受けたと述べており、又第四八回公判調書中証人広田禎助の供述記載によると、これもまた、右藤田信夫と同旨の供述をしていることが分る。しかるに、右証第二八号をみると、車掌(同号証の(11)の人物。このことは第四七回公判調書中証人山元良雄の供述記載により明らかである。)は、もうすでに、デッキの上に上つている状況にあることが認められるので、右藤田信夫、広田禎助の供述にはいずれも正しく当時の模様を伝えているものか非常に疑しくなつてくる。更に、前記第一一回公判調書中証人藤田信夫の供述記載によれば、藤田信夫が同人の肩にあたつた被告人中井の右手を両手で握りしめて逮捕したいきさつについて、同証人は「一人のピケ隊員がいきなり飛び出して、右手で左肩のつけねあたりを殴つたので、何をしやがるかと思つて見たら又拳で左肩を殴つたので暴行の現行犯だと思つて、その手を両手で握つて逮捕した」というのである。これによると、藤田信夫の方から被告人中井に対し、特に積極的な行動をしていないのに、被告人中井が突然、飛び出してきて殴つたということになるが、いかに、混乱の最中であつても、こちらで何の直接行動もしないのに、相手の方から、いきなり攻撃を加えるということがあるだろうか。特に被告人中井が公安職員に対し、深く含むところがあつたという証拠はないばかりか、同被告人はこれまで労働運動に参加した経験はなく、前日夕刻から初めて、このような闘争の現場に居ただけであつて、たとえ、労組員と鉄道公安職員との間に対立感情があつたにしても、被告人中井が、何の手も加えぬ鉄道公安員藤田信夫に攻撃を加える動機はないのである。前記四の(一)の中で引用しておいた第五九回公判調書中被告人中井の供述記載を右藤田信夫の供述記載に合せ考えてみると、被告人中井は、鉄道公安職員からスクラムを崩され、足をすべらすようなことになつたので、かねて労組側の注意もあつて、一早く、その場を逃避せんとしていたので、その行動が藤田信夫には「飛び出してきた」ようにみえ、動く体躯四肢が触れて、「殴られた」と思えたとみても不合理ではないようであり、少くとも、かかる見方も不可能ではない。このように考察してくると、被告人中井の藤田信夫に対する暴行も、これを認めるに充分な証拠があるということはできないから、その余の点について判断するまでもなく、被告人中井の鉄道公安員藤田信夫に対する公務執行妨害罪の成立は否定さるべきものということになる。

(三)  以上のとおりであるから、被告人中井の本件公務執行妨害及び傷害の各罪は、これを認めるに足る充分な証拠がないから、刑事訴訟法第三三六条により、同被告人に対し、無罪の言渡をする。

第二、下関駅放送室事件のうち、公務執行妨害の点について。被告人大谷保関係。

一、本件公訴事実は、前記有罪部分の第二、二に示したとおり、被告人大谷は下関駅放送室に侵入した後、「旅客の誘導案内の放送業務に従事していた同駅乗客係たる国鉄職員戸村祐吉に対し、闘争中の労組の威力を示し、「おい、俺に貸せ。」と申し向けながら、雑音防止のため、操縦盤のスイッチを下方に引き下げ、拡声機に通ずる電流を切断せんとする同人の手の上から、左手で、そのスイッチを握つて、上方に引き上げ、電流の切断を阻止するとともに、右手でマイクロフオンを手許に引き寄せる等の暴行を加え、同人がその使用を拒否するにおいては、更に同人を室外に押し出す等の暴行を加えかねまじき態度を示し、同人をして、その旨、畏怖せしめて放送業務の継続を不能ならしめた上、自ら放送を数回繰返し、もつて、暴行脅迫により、同人の放送業務たる公務の執行を妨害したものである。」というのである。

二、そこで、証拠について、これをみるに、有罪部分第二、二の事実認定に供した前記各証拠の外、第三八回公判調書中証人戸村祐吉の供述記載を総合すると、被告人大谷は下関駅放送室に入つて、折から乗場に入つた列車のため、駅名喚呼をしていた同駅乗客係の国鉄職員戸村祐吉の傍に立つた。これをみた戸村は被告人大谷の発言がマイクロフォンに入つては困ると考えて、操縦盤のスイッチを下方に引き下げ、拡声機に通ずる電流を切断した瞬間、被告人大谷が「おい、俺に一寸マイクを貸せ。これを上げればはいるんじやな。」といつて、まだスイッチから手を離していない戸村の手の上から、左手でそのスイッチを握つて、上方に引き上げた。そこで戸村は、すぐその手を引き、直ちに、駅長から労組員の放送設備使用につき、然るべき指示を求めるため室外に出た。その間、被告人大谷は右手でマイクロフォンを手許に引きよせて、「前記停車中の列車が発車できる態勢にありながら、国鉄当局が発車させようとしない。関門間は客扱車掌で運転しておきながら、運転車掌がいないからといつて列車を出せないといつている。これは一方的な当局の命令であつて、広島鉄道管理局長の責任である。決して組合のためではない。」旨数回繰返し放送した。丁度、そのとき放送室の隣の運転室にいた下関駅長大野林蔵は戸村の知らせを受け、直ちに、放送室に赴き、被告人大谷の右放送をやめさせ同人を退去させたが、その場にいた戸村は渡辺運転掛から八四〇列車を当時に限り、四番乗場から発車させることを通知されたにもかかわらず、右放送施設によらず、かえつて、ホーム下の中二階になつた通路で口頭により、その旨旅客に案内これを誘導したことを認めることができる。

三、ところで、公務執行妨害罪の成立に必要な暴行は、外形力の行使が、その具体的状況に応じて公務の執行を妨害するに足るものでなければならない。本件についてこれをみると、被告人大谷の戸村に対する行為は、その外観的な観察をするときは、戸村の職務の執行の面前で、その身体に直接加えられたもののようであるが、戸村としては、特に被告人大谷の行為を拒否するとか、その行為をさせまいと抗争するとか、或いは又、自ら引き続き放送の職務を続行するとかの態度を示したことを認めるに足りる証拠はない。むしろ、被告人大谷の態度から、同人の放送施設使用を感受して、電源を切り、スイッチから手を離そうとしたとき、不意に、その手の上から、被告人大谷の手が加つて、一瞬無意識のうちに、被告人大谷の手に持たれたまま、その動きに従つてしまつたとみるのが相当である。

当時放送室周辺における紛糾、乗客と国鉄側とのあつれき、騒然とした状況下において、右のような被告人大谷の直接の言動が戸村に対し精神的威圧を与えたことがあつたにしても、もともと、労働運動の現場において、活溌な示威が行われるのは通常であつて、そのため、威圧を受けたからといつて、それがすぐ不法な害悪の告知とはいえないし、まして、戸村祐吉の前記検察官に対する供述調書に現われているような、戸村が放送設備使用を拒否すると、被告人大谷が何をするか分らぬと恐れた情況は認められず、被告人大谷が前示のような労組の示威を利用して戸村に対し右のような威圧を加えたと目すべき証拠も充分ではないのであつて、むしろ、戸村がその意思で職場を離れたと思われるふしもあり、放送室の隣には駅長がおり、戸村の報告によつて、直ちに被告人大谷の放送は差し止められ、室外に出されており、その間若干の時間(この間に被告人大谷の放送がされている。)を除いては、少くとも放送室での職務執行に別段の支障を来たさなかつたと認められるのであつて、前記のような被告人大谷の行動は、未だ、戸村の意思による行動の自由が阻害さるべき性質のものであつたとはいいえない。すると、本件の右のような具体的状況に照らすときは、被告人大谷の所為を目して公務の執行を妨害するに足る暴行或いは脅迫ということはできない。

四、よつて、その余の点について判断するまでもなく、被告人大谷の国鉄職員戸村祐吉に対する公務執行妨害罪を認めるに足る証拠がないので、この点については刑事訴訟法第三三六条により、同被告人に対し、無罪の言渡をする。

弁護人の主張に対する判断

第一、弁護人は、検察官が本件国鉄労組のとつた三割休暇戦術等の闘争が公共企業体等労働関係法(以下単に公労法と称する。)第一七条第一項違反の違法行為であると主張するのに対し、右公労法の条項は憲法第二八条の条規に違反し無効であるから、国鉄労組の本件闘争は違法ではないと主張する。

しかしもともと、国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて、立法その他の国政の上で最大の尊重をすることを必要とするものであるから、憲法第二八条が保障する勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利も公共の福祉のために制限を受けるのはやむをえないところである。ところで、国鉄は従前純然たる国家の行政機関によつて運営されてきた鉄道その他の事業を経営し、能率的な運営によつて、これを発展せしめ、もつて、公共の福祉を増進することを目的として(国鉄法第一条。)設立された公法上の法人であつて、しかも、その資本金は全額政府の出資にかかり、その公共性は極めて高度のものであり、その役、職員は、その身分こそ、法制上、国家公務員とはならなくなつたが、しかし、なお、法令により公務に従事する者とみなされるものである。(同法第三四条。)このような公共企業体の国民経済と公共の福祉に対する重要性にかんがみるときは、その職員や組合について、争議行為禁止の制限を受けてもこれが憲法第二八条に違反するものとはいえない(最高裁判所昭和三〇年六月二二日判決。最高裁判所刑事判例集九巻八号一一八九頁参照。)尤も、右のように、公共企業体の職員や組合に対し、争議行為が禁止されるのは、本来正当なるべき争議行為が公共の福祉を保護するという特別の理由によつて制限されているにすぎないのであるから、かかる制限がなければ正当なものとして認容される限度に止まるような争議行為である限り、それは単に公労法による制裁を受けるに止まり、同法違反の争議行為であるからといつて、それが直ちに刑法所定の犯罪を構成するものということはできない。しかし、かかる争議行為に附随して発生した前記の限度を逸脱した刑法所定の犯罪にあたる行為に対しては、これを正当化すべき理由はなく、本件有罪と判断した関係被告人等の所為は、いずれも判示の各犯罪にあたるものであつて、その責を免れることはできないのである。

第二、次に、弁護人は公訴事実はいずれも刑法第九五条の構成要件にあたらないとし、その理由として、まず、

一、国鉄役、職員に対しては公務執行妨害罪は成立しない。

公務執行妨害の対象たる公務員の範囲は国家意思の担い手の範囲に限定して考えねばならないのであるが、国鉄役、職員は国鉄法の施行により公共企業体の一員として非公務員となり、その業務は刑法第九五条の保護法益たる公務員の職務の執行に該当しなくなつたものである。もつとも、国鉄法第三四条第一項には「役員及び職員は法令により公務に従事する者とみなす。」とあるが、それは他の同種類似の立法例に照らし、解釈上、「刑法その他の罰則の適用については」の文言をいれて考察すべきであり、従つて、右法文の趣旨は、「役員及び職員は、それらの者が、刑法その他の罰則の適用を受ける場合には、法令により公務に従事する者とみなす。」と解すべきであつて、単に国鉄という事業の公共性の故に、その役職員に対し、職務の清廉性を義務づけたものにすぎず、役、職員に対する第三者の侵害行為が処罰されることを示したものではない。という。

しかし、国鉄法第三四条第一項の規定を「刑法その他の罰則の適用については」の文言をいれて、所論のように解釈すべき法規上、文理上の根拠に乏しく、国鉄及び国鉄役、職員の公共性にかんがみ、この種役、職員については、その職務につき公務員と同一の保護を与えるとともに、同一の責任を負担させる趣旨であり、個々の当該職務を検討すれば、その職務が行われるにあたつて暴行、脅迫がなされるときは第三者の公務執行妨害罪も成立する場合があると解することができる。(最高裁判所昭和二三年一〇月二八日判決。最高裁判所刑事判例集二巻一一号一四一四頁。同昭和三二年六月二七日判決。同集一一巻六号一七四一頁参照。)

そこで、本件広島駅構内事件についていえば、当該職員は、広島駅長を補佐代理して、所属職員を指揮監督し、駅務全般の処理に当るべき職務を有する同駅主席助役内田菊雄であり、同人が停車場構内において、列車急停車の事情を調査中の職務の執行に際して、判示のとおりの暴行が加えられているのであるから、右のような内田主席助役の職務が公務執行妨害罪の保護法益たる公務にあたることは論をまたず、暴行が職務の執行中になされているのであるから、右内田主席助役に関して、公務執行妨害罪が成立するものということができる。

国鉄ビル事件における鉄道公安職員に対して、公務執行妨害罪の成立することは、次の弁護人の主張と合せて判断を示すこととする。

二、弁護人は本件鉄道公安職員の職務執行は刑法第九五条の要件である「正当な」職務権限の行使に該当しないとし、その理由として、鉄道公安職員制度の沿革及び鉄道公安職員の職務に関する法律の立法経過にかんがみるときは、鉄道公安職員は労働争議に絶対干渉しない立前になつており、鉄道公安職員が国鉄職員の組合運動に介入すること、及び警備上、実力を行使することは、いずれも職務権限を逸脱した違法行為であるという。

しかし、鉄道公安職員は鉄道公安職員の職務に関する法律第一条により明らかなとおり、国鉄の施設内において公安維持の職務を掌る国鉄の役員又は職員であつて、法務総裁と運輸大臣が協議して定めるところに従い、国鉄総裁の推せんに基き運輸大臣が指名した者をいうのであつて、右鉄道公安職員の職務に関する法律によつて与えられた司法的機能である鉄道犯罪に関する捜査に関する職務に関する限り、それは法律によつて、法令により公務に従事する職員として、刑法第七条にいう公務員にあたるということができるのであるが、その本来の職務である国鉄の施設内における公安維持の点についていえば、右法律からも明らかなとおり、もともと鉄道公安職員は国鉄の役員又は職員であるから、国鉄法第三四条第一項により法令により公務に従事する者とみなされ、従つて、鉄道公安職員は刑法第七条にいう公務員にあたり、その職務内容からみて、その職務は公務執行妨害罪の保護法益たる公務にあたるというを妨げない。即ち、まず、弁護人のいう国鉄法第三四条第一項を基盤としては国鉄役、職員に対する公務執行妨害罪が成立しないとの論点については、さきに一において説示したとおり、右弁護人の意見には賛成しがたいのであつて、国鉄役、職員である鉄道公安職員についても、また、その行う職務については公務執行妨害罪の成立する余地があるといわねばならない。ところで、国鉄が国の動脈として、政治、経済、文化等の諸点において重要な地位を占めるものであることは論をまたぬところであつて、その輸送業務が円滑に、且つ、安全に行われることは、単に、国鉄そのものにとつてだけでなく、国家、社会にとつて必要欠くべからざるものであるといわねばならない。従つて、かかる公共性の強い鉄道業務に対し、これを阻害し、鉄道公安をみだすものがあれば、国鉄自らの手で、一早くこれを排除し、円滑安全な輸送業務の状態に復することは、単に国鉄自体の企業防護というにとどまらず、公益を保持するものといつても過言ではない。そこで国鉄法は国鉄役、職員に対しては、その身分、職務について公務員に準じた性格を与える一方、企業構成の一員として、その本来の任務である保線、運転、旅客、貨物等の関係職務に附随して、当然に要求される企業そのものの一般的防護、警備などの公安維持の職務についてもこれを保護しているのである。そして、鉄道公安職員は、右のような各個の国鉄役、職員が当該職場における一般的警備の職務の、いわば抽象したものを、その本来の職務として、これを右一般的警備の職務に対していうならば、特殊警備ともいうべきものを職務とする国鉄役、職員であるということができる。このことは、鉄道公安職員本規程第三条に、鉄道公安職員の行う職務として、施設及び車輛の特殊警備、旅客公衆の秩序の維持、運輸に係る不正行為の防止及び調査、荷物事故の防止及び調査、その他犯罪の防止がかかげられており、右警備活動にあたつては、右基本規程によると、鉄道公安職員は国鉄の防護の任にあることを自覚して、常に鉄道財産の安全及び鉄道業務の円滑な遂行のために全力を尽し、これを侵害するものを進んで排除することに努め(同規程第五条)、常に鉄道財産の状況に注意し、盗難、毀損、火災等の被害が発生し、又は発生するおそれがあると認めた場合は、被害の軽減又は発生防止のため、応急の処置をとつて、すみやかに関係箇所長及び鉄道公安室長又は所属長に通報し(同規程第一〇条)、旅客公衆に関しては、その交通秩序に注意し、暴行脅迫等の不法行為の発生の監視又は旅客公衆の保護指導等を行い、旅客輸送の安全確保に努め、不法行為が発生し、又は発生するおそれがあると認めた場合は、犯人を逮捕し、不法行為者に列車外又は鉄道地外への退去を求め、又は旅客公衆に適切な指示を与える等、不法行為の鎮圧又は発生防止に必要な処置をとらなければならない(同規程第一一条)。その他、列車又は鉄道地内において、不法行為の発生又は犯罪の発生のおそれある情報を知つた場合は、証拠保全又は危害防止のため、応急の処置をとるとともに、すみやかに、所属長に報告して、その指示を受けなければならない(同規程第一六条)とされていることによつて明らかである。それ故、右警備行為の前記のような公共性にかんがみ、鉄道公安職員の職務である鉄道施設内における公安維持の職務が公務執行妨害罪の保護法益たる公務にあたると解せざるをえない。

そこで、本件について考えてみると、国鉄ビル事件における鉄道公安職員のとつた行動は判示のとおり鉄道施設である国鉄ビルに労組の立ち入りを防止するための特殊警備活動であつて、抽象的にいつて、これが鉄道公安職員の公務である鉄道施設内における公安維持の職務にあたることは前示するところから明白である。そして、これを具体的にみても、判示のとおり、当時労組員等は、一旦は道下臨時輸送対策本部長が団体交渉に応ずるものと即断し、更に同本部のある国鉄ビル玄関入口で、鉄道公安職員を介して団体交渉に応ぜられない趣きを伝えられたにもかかわらず、あえて、団体交渉を求めて、国鉄ビル内への侵入を企てたものであつて、第五乃至第七回公判調書中証人道下芳雄の供述記載、第三三回公判調書中証人藤浦俊雄の供述記載、並びに広島鉄道管理局総務部課長山崎栄一から山口地方検察庁下関支部長小西茂宛「当局と労組広島地本との労働諸協約書の写送付について(報告)」と題する書面によれば、通例、団体交渉は予め、日時、場所、議題を指定して交渉に入ることになつていたことが明らかであるから、このように、正常な時、場所において、団体交渉をなしうるにかかわらず、団体交渉と称して、相手方の制止する場所に侵入するがごときは正当な行為とはいえないし、且つ、また、前記関係証拠によれば、同ビル内には臨時輸送対策本部の指揮下に、いずれも同本部に近接して、運転、配車、機関車、旅客関係の各司令など運輸関係の枢要な機関があつて、当時混乱していた列車輸送に対処していたのであるから、狭隘な場所に多数の労組員が立ち入り、臨時輸送対策本部長と交渉をするとなると、混雑と喧騒のため、重要な運輸業務が阻害されることは必至と認められる状況にあつたのであるから、労組員の立ち入りを禁ずるため、鉄道公安職員が人垣でこれを防止した行為は、もとより正当な警備活動として、正当な職務行為であるというべきである。鉄道公安職員制度の沿革及び鉄道公安職員の職務に関する法律の立法経過に関する証人猪俣浩三、多賀谷真稔に対する各証人尋問調書の記載によるも、鉄道公安職員が国鉄職員の組合活動運動に介入することを禁止されていたと認めるには充分ではないし、又明文をもつてこれを禁止した規定もない。しかし、正当な労働運動に官憲や使用者の介入が不当であることは、もとより論をまたぬところであつて、ただ、本件のように管理者の承諾もなく、国鉄施設に立ち入ろうとする、正当な労働運動とは到底認められないような場合に、これを防止するため鉄道公安職員が出動することを禁止すべき何の理由もないといわねばならない。そこで、右のように鉄道公安職員が阻止の態勢をもつて警備している公務の執行にあたつて、これに暴行を加えるときは公務執行妨害罪が成立することは明らかである。

弁護人は右のような鉄道公安職員のした立ち入り阻止の行為が実力の行使であるとして、憲法上これを認める根拠がないという。けれども、本件国鉄ビル事件は鉄道公安職員が、ビル玄関口を人垣で閉し、警備している職務の執行中に、労組員により、暴行が加えられたもので、鉄道公安職員としては、その制止にもかかわらず、労組員が同ビルに立ち入らんとして圧力を加えたので、これを阻止するため、人垣でこれに対抗して右圧力を支えたというにとどまり、労組員を拘束したり、或は反撃を加えて後退させるとかの積極的な強制力を用いた行動はないのであるから、右は鉄道公安職員の正当な職務の執行というべく、これに対し、暴行が加えられた本件につき、公務執行妨害罪が成立することはいうまでもない。弁護人の主張は、いずれも理由がない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋文恵 永松昭次郎 生田謙二)

別紙(略)

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